僕は全て失った。。。僕が失ったもの3つ

幸せそうな家族

24歳男性。現在某国立大学大学院生。
地裁頃から、いろいろな困難に直面。たくさんのものを失ってきたが、
その辛さを乗り越えることで、生きる強さを得た。
現在もアトピーを克服するため奮闘中。
趣味は、長期休暇を利用した海外旅行と登山。

 

 

僕の失ったもの1つ目.小さいころに母親を失った

幸せそうな家庭

 

僕が失ったもののなかで、1つ目はあまりにも大きいものでした。

なにしろ、もの心も付いていないほど小さいころだったので、今でも悲しいという実感はあまりわきません。

 

母は、もともと体が弱かったそうです。

僕を産んで、よくならない体調と子育ての重圧から育児ノイローゼになってしまったそうです。

 

結局、僕は母親の手では育てることが困難になったそうで、保育施設に預けられました。

このころ、僕は2歳ぐらいでした。

僕が、施設に入ってしばらくして、母親は病気にかかって死んでしまいました。

 

僕が4歳ぐらいのころ父親は、スナックで知り合った女性と再婚をしました。

相手の女性(今の母親)は、4人の子供を連れていました。

このころから、少しずつ記憶が残っています。

 

だから僕にとっての母親は、今の母親になります。

もの心ついたときから、施設で育っていた僕にとって母親の出現は、とても嬉しいことでした。

たまに実家に帰ったそうですが、施設に戻る日になると、僕はわんわん泣いたそうです。

 

小学生にあがって、実家に帰れるようになりました。

僕の新しい兄弟(母親の連れ子)は、年の離れた僕をとても可愛がってくれました。

母親も僕のことを受け入れてくれていました。

 

しかし、僕の父親は違いました。

僕の兄弟に対してつよく当たったのです。

「お前たちは俺の子どもじゃない」と。

 

どんどん成長していった僕は、だんだんと勘が働くようになりました。

両親が、兄弟のあつかいについて喧嘩して「離婚だ離婚だ」とわめいているのを、小さいころから聞いていました。

 

子どもながらに、自分の母親は本当の母親ではないこと。

本当の母親は、もうすでに死んでしまったということ。

父と母はたぶん僕の存在が原因で喧嘩しているんだということ。

 

いろいろなことを、2人が喧嘩しているのを聞きながら理解しました。

僕は、母親が死んでしまったことを覚えていません。

しかし、「本当の母親が健在だったら、このように辛い思いは、しないだろうな」と考えていました。

 

母親の喪失感を知るのに、あまりにも悲しい思い出ですが、これが、僕が最初に経験した、大切なものを失った記憶です。

 

僕の失ったもの2つ目.アトピーで健康な肌を失った

哺乳瓶を加えている赤ちゃん

 

僕の父親はアトピー持ちでした。

僕の母親は体が弱かった。

両方の悪い部分を受け継いでしまった僕は、まだ乳児のころ、アトピーやぜんそく、肺の病気などを同時にわずっていました。

 

乳児期のほとんどの期間を、入院していたそうです。

成長して、幼児期にうつるころには、ぜんそくなどはキレイに消えてしまいましたが、アトピーがひどかったらしく、大変でした。

 

確かに、お尻の部分が真っ赤だったことを今でも覚えています。

そんなアトピーも、小学生にあがって、施設から実家にうつったとき、キレイさっぱりなくなりました。

やはり、施設の生活が子ども心にストレスを与えていたのでしょうか?

 

しかし、本当にひどくなってしまったのは、大学以降です。

皆さんは、自分の肌が、だんだんボロボロになっていくさまを想像できますか?

湿疹は、気がくるいそうなほどかゆく、かきむしってしまうと、肌はさらにボロボロになり、さらに傷によって痛みもともないます。

 

薬をぬっても一進一退でいつ終わるともわからない苦しみが続くのです。

小さいころならまだよかった。

異性を意識する年齢でもあり、目立つところには出なかったからよかったものの、自分にまったく自信を持てなかったです。

 

なぜこんなものを僕は発症してしまったのだろう。

なぜ普通の人たちは、なにも気にせず、肌に異常が出ないのだろう。

なぜ自分が。

 

肌は、他人に見える部分で、僕は健康な肌を失ってしまった。

なにを試しても改善せず、本当にどうしようもないもどかしさが、とてつもなく悔しいです。

 

 

僕の失ったもの3つ目.父に対する信頼

遊んでいる父親と子供

 

失ったものの3つ目は、父への信頼です。

小さいころから、父と母親が喧嘩していたのを見て、子ども心に「父はおかしい」と思っていました。

休みの日にパチンコに通い続けるとか、そういう問題ではないのです。

 

なぜ、家族になったのに仲良くできないのだろう。

 

また父親は、よく酒を飲む人でした。

なにかが起こるたびに、僕が不安そうな顔をすると、父親は決まってこっちを向いて「大丈夫だ!」というのでした。

しかし、僕からするとまったく安心できなかったです。

 

もともと父親への信用はあまりなかったのですが、あるときその信頼が崩壊しました。

あれは、僕の大学受験をひかえた大事な時期でした。

受験勉強に励んでいるとき、父親がいつもより早く家に帰ってきました。

 

なぜか、なんと、仕事を辞めてきたのです。

いきなりすぎて正直意味がわからなかったです。

なぜこんなときに。

 

僕の父親への信頼は完全に崩壊しました。

この歳になって、まさか、父親に対する信頼を失うとは。

悲しいことです。

 

まとめ

僕は今までにたくさんのものを失ってきました。

しかし、困難が起こるたびに、それを乗り越えてきました。

アルバイトをし、大学に進学しました。

 

今では母親とも仲良くやっています。

アトピーはいずれ克服します。

 

もし、困難を抱えている方がいましたら、心がくじけなければ大丈夫です。

必ず克服しましょう!