41歳女性。
看護師資格をもち、現在は求職中です。
17歳で結婚し、20歳で離婚しました。
長男を育てながら、29才で再婚するも、別居生活を経て、37歳で離婚することに。
現在、小学6年生の長女と暮らしながら、看護師、看護師以外の仕事を模索中。
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迷う離婚を決意したエピソード1.「次こそは、離婚しない」と決意した再婚
私は20歳で離婚し、それ以降、何人かの男性とお付き合いしたことがあります。
しかし、金銭面や相手方の家族構成、少しの価値観の違いで、再婚には踏み切れずにいました。
20代後半になり、長男も、小学校高学年になったころのこと。
「もう一人、子どもが欲しい」と、思うように。
当時付き合っていた彼は、次男で、金銭感覚もしっかりしていました。
彼の母が、子離れしていないように感じる、言動だけが気にはなっていたので、そのことも正直に伝えた私。
そのときには、安心できる返答だったので、「大丈夫だろう」と思って、再婚を決意しました。
迷う離婚を決意したエピソード2.「愛されているからだ」と、まだ離婚は迷わなかった
切迫早産になり、休職するようになってから、夫の電話が頻繁すぎて、違和感を感じました。
夫は、営業・配達をしていたので、時間は自由にとれる勤務体制となっています。
そのため、ルートによっては、昼食を食べに帰ってくることがありました。
ですが、それ以外のときに、連絡もなく、急に帰ってくることが増えたのです。
ある日、「夫も帰ってくる予定もないし、たまには、ランチしに出かけたいな」と思ったので、一人で出かけました。
しかし、ランチ中に夫から電話がかかってきて、「どこにいるの?」と聞かれます。
帰ったら、私がいなかったので、電話をかけてきたようでした。
私は普通に、「〇〇に久しぶりに、ご飯食べにきた」と伝えたのですが、夫は「あっそう」と、電話を切ったのです。
いやな予感がしたうえに、その日の夜になっても、夫がなにも言わないので、なにも言い出せなかった私。
なので、「一人で、ランチに行くのも、いけないんだな」と、思ってしまいましたね。
迷う離婚を決意したエピソード3.ますます激しくなる、束縛。離婚を考えるように
夫が、私の携帯をチェックしていることが分かりました。
男性のアドレスが、すべて消されていたからです。
夫を問いただすと、「必要ないでしょ」と一言。
仕事上の人や、昔からの知り合いなど、何人かの男性の名前をあげたところ、夫が思わぬ行動に出ました。
なんと、説明に納得した男性の分だけ、自分の携帯に転送してあったアドレスから、教えてくれたのです。
「これは異常だ」
そう思い、「さすがに、やめてほしい」と伝えましたが、携帯チェックは止まりませんでした。
ある日、夫から「昨日の朝10時くらい、なにしていた?」と、聞かれたことがあります。
思い返すと、自宅の電話から、幼馴じみの女友だちに、電話をしていた時間でしたが、「なんで?」と、シラを切ってみたのです。
「いや、別に」と言うので、「多分家で、〇〇と電話していた」と、私は言いました。
すると、「じゃあ、いいや」と言って、会話を終わらせたのです。
翌日、夫が仕事に出かけている間に、部屋のなかを探してみました。
すると、押し入れの夫のウエストポーチのなかに、ICレコーダーが録音状態で入れられているのを発見したのです。
そのときの私は、妊娠後期に入っている状態で……。
子宮口も柔らかくなっているからということで、早産を防止する薬を飲んでいるときでした。
帰ってきた夫に、ICレコーダーを渡し、問い詰めようとした私。
そしたら夫は、録音履歴を全部削除していたことに対して、私に怒りをぶつけてきたのです。
自分のしたことは「悪い」と、思っていないようでした。
迷う離婚を決意したエピソード4.出産すれば、変わるかもしれない
夫の束縛に耐えながら、自宅で一人静かに、誰ともかかわらず、過ごしました。
「子どもが産まれれば、子どもに意識がうつって、私への束縛はなくなるかもしれない」
わずかに、期待していたのです。
少しの間は、束縛は収まりましたが、電話や、急な帰宅は相変わらず。
おそらく、「どこかに出かけていても、赤ちゃんを連れているのだから安心」と、思ったのでしょう。
「離婚しない」と、決めて再婚したので、考えないつもりでした。
ですが、本当は、心から夫のことを「気持ち悪い」と、思っていたことがあります。
ですが、「買い物して帰ってきてくれたり、子どもの面倒もみてくれるし、仕事はちゃんとするし」と、自分に言い聞かせていたのです。
なかでも、性行為の強要だけが、本当に地獄で……。
添い寝している子どもを起こそうと、手を強く握ったりもしました。
そのころの写真には、あご周りに化膿した吹き出物が、たくさん出ている私が映っています。
迷う離婚を決意したエピソード5.職場復帰後、束縛はエスカレート
本当に、あの人のことは、思い出してもきりがないのですが、一番情けなかったのは、会社の忘年会の日のことです。
まだ、忘年会も序盤といえる、20時過ぎに「前に迎えにきてるから」と、夫から電話がありました。
「まだ、あと1時間くらいあるし、2次会にカラオケにも誘われてるから、行きたいんだけど」
私は夫に、そう伝えたのです。
すると、夫は「行く必要がない」と、言い張ります。
どうしても行きたかった私は、夫にこう言ったのです。
「勝手に迎えにこられても困るし、行く必要はないかもしれない」
「でも、ずっと、誰とも出かけさせてくれなかったんだから、今日ぐらい行かせてほしい」と。
そう言うと、電話が切れました。
女性の先輩が心配して、「もう一回かけてみたら? 話してみてあげる」と、言ってくれます。
「外面のいい夫のことだから」と思い、電話をかけてみましたが……。
「もしもし? ○○くん? 行かせてあげてよ」と言った時点で、電話を切られてしまったのです。
先輩に恥をかかせたことと、夫の束縛が知れたことで情けなくなり、その場で帰宅。
私は、夫になにも話しかけず、夫も、私を無視し続けました。
迷う離婚を決意したエピソード6.もう悩む必要どころか、離婚しかない
「私の仕事の帰宅が遅いこと」、「家事が、おろそかになっていること」など、いろいろと理由をつけて、退職を促されていた私。
ある日、いつもの調子で、「仕事を辞めるつもりはない」と、話をしていたときのことです。
夫が急に激怒し、2歳の子どもの起きている前で怒鳴りつけ、馬乗りになって、殴ってきました。
鼻の骨を折りたかったのか、鼻を執拗に殴り、鼻をつまんで、ねじあげてきたのです。
2歳の子どもは泣き叫び、声を聞いた14歳の息子が、部屋に駆けつけてきました。
夫は分が悪くなり、無言で外出。
今までも、「性行為の強要」や、「物を投げる」、「殴る」などのことはありました。
ですが、そのたびに、私は子どもに気付かれないように、耐えていたのです。
でも、そのときに、長男に辛かったことを話しました。
すると、長男はこう言ったのです。
「離婚して。もし、離婚しないんだったら、僕はおばあちゃんの家に出ていく。あんな人とは住みたくない」
その一言で、離婚を決意しました。
まとめ
離婚も一筋縄にはいかず、離婚調停2回不成立、別居5年を経て、ようやく協議離婚になりました。
2度の離婚をして、今回このような結果になってしまった原因は、おそらくこの二つです。
「私の『子どもが欲しい』という強い気持ちが、正常な判断を妨げたこと」
「『おかしい』と思ったことを、深く考えなかったこと」
子どもはとても可愛いので、離婚自体は、後悔していません。