34歳女性。
高校時代に、「空手部」という荒々しい生活の反動か、大学を卒業後、百貨店に就職しました。
そこでようやく、言葉づかいなど、多少の品を身に付けます。
現在は結婚し、二人目を妊娠中で、専業主婦をしている。
黒帯保持者として、一人目の子どもに、空手の動きを教えているが、子ども本人は、まったく空手に興味を示していない。
趣味は、やはり高校時代の反動なのか、読書と音楽鑑賞。
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スパルタの空手部に入部したエピソード1.高校生なのに、家には寝に帰るだけ
高校時代やっていた部活は、終わるのが19時。
先生の機嫌が悪くて、説教が続いたりすると、21時になることもありました。
私は当時、電車で片道30分かけて通学していたのですが、田舎なので、電車の本数が少ないです。
そのため、21時に部活が終わって、22時ごろの電車に乗って帰宅。
その後、家に着くのが23時前ということも、しょっちゅうでした。
もちろん、次の日は朝7時の電車に乗って、学校へ行かなくてはなりません。
なので、帰宅後すぐに、夕食を食べてシャワーを浴び、寝るという毎日でしたね。
19時に終わった日の帰宅は、20時半ごろでしたが、体はハードな練習で疲れきっています。
そんな体を早く休めるためにも、食事とシャワーを手早く済ませて、寝るというスタイルに、変わりはありませんでした。
今考えると、母にとっても大変な3年間だったと思います。
もちろん、土日も部活があったので、体は常に疲れていました。
幸いにも、土日は午前中だけで、練習が終わります。
なので、午後は途中下車をして、ウィンドーショッピングをしたり、部室で仲間たちと、ワイワイ語り合ったりすることができたのです。
休日の午後が、唯一の息抜きの時間でした。
スパルタの空手部に入部したエピソード2.全部私のせい
当時、部活内で同学年の同性が、いない環境でした。
そのため、3年生になると強制的に、キャプテンと部長の二役をやることに。
私が1年と2年のときは、部員数もかなり少なかったので、先生の怒りの矛先は個々に向けられていました。
しかし、3年生になると、どういうわけか、新入部員がたくさん入部してきたのです。
もちろん、そうなれば、それらをまとめる私にも、力が求められるようになってきます。
そして、1年生が先生の逆鱗に触れると、必ず言われたのが、「お前が言わないからだろ」「見てないからだろ」でした。
私だって、自分の練習で精いっぱいなうえに、20人もの後輩の面倒を見るなんて無理です。
もちろん、周りを見るようにはしていました。
ですが、そっちにばかり気を取られると、「集中していない」と先生から練習を外されて、隅で正座を命じられるハメに。
とくに、3年生としての部活は、本当に毎日追い込まれていました。
私は、部活推薦で入学したわけではなかったので、「なんで、こんな目にあうのか」と、毎日悔やんでいましたね。
ですが、先生が恐ろしすぎて、退部すらできなかったので、ただ毎日をこなしていくしかありませんでした。
スパルタの空手部に入部したエピソード3.検定前の補習
私は商業高校に通っていたので、検定合格は必須事項となります。
顧問も文武両道を掲げていたので、大事な検定が近付くと、配慮してくれるのです。
学校側が部活をやっている生徒用に、遅い時間の補習時間を設けます。
もちろん、授業でも過去問を解いたりしていますが、検定合格率をあげたい学校側は、生徒に強制参加を命じるのです。
部活が終わったら、着替えもせずに汗臭いまま、補習の教室へ向かいました。
そして、1時間ほどかけて過去問を解き、ようやく帰宅の途につけたのです。
この時期ばかりは、顧問も7時ごろには、練習を切りあげていました。
ですが、女子高生として、汗臭くて、髪も乱れたまま1時間も補習を受けるのは、辛くて仕方ありません。
また、必然的に帰宅も毎日遅くなってしまうので、電車で寝過ごしてしまったり、大切な昼間の授業で、眠気に襲われることも多かったです。
スパルタの空手部に入部したエピソード4.腰痛持ちになった
当時、顧問に「腰が引けている」と、腰を蹴られることがありました。
とくに、空手の型は姿勢や美しさも求められるので、指導の一環だったと思うのですが……。
当時から、ちょくちょく腰が痛むようになったのです。
激痛とかではなく、「ちょっと痛いな」程度でしたが、今もたまに腰が痛むことがあります。
年齢のせいかもしれませんが、結構いい音をたてて蹴られていたので、少なからずその衝撃は、今も影響しているでしょう。
いまだに、引きずっているのは腰痛くらいなので、まだ幸いな状態といえます。
当時、隅で長時間正座をさせられていたときのこと。
集合の声がかかったので、立ちあがったら、足が感覚を失っていて、変な立ちあがり方をしてしまい、試合の一週間前に捻挫をします。
また、前歯が二本かけてしまったりと、ケガもたくさんありました。
部活をしている限り、仕方がないことかもしれません。
しかし、ケガをしたから練習を休めるわけでもなく、普段通りに練習をしなくてはいけなかったので、辛かったです。
スパルタの空手部に入部したエピソード5.青春をしていない
空手部は男女混合で練習を行っていましたが、私と私の一つ下の学年は、人数が片手で数えられるほどでした。
また、日々の先生からの圧に耐えるうちに、仲間意識が強く芽生えたので、部内で恋愛に発展する部員はいなかったです。
部員みんなが、「同士」という感じで……。
もちろん、私も部員全員を戦友だと思っていたので、そういった感情は一切起こりませんでした。
教室は女子のみのクラスでしたので、男子と話す機会はまったくありません。
それに加えて、授業が終われば部活、部活が終われば帰宅してすぐ寝る、という毎日を送っていた私。
なので、高校生活で彼氏ができたこともないですし、「いいな」と思う人ができても、見ているだけでした。
当時、自転車の二人乗りや、放課後のデートに憧れていた時期があります。
それが叶わなかったので、今でも後悔として残っていますね。
部活が忙しくても、きちんと恋愛することができる人もいるでしょう。
なので、ただの言い訳なのかもしれませんが、私にはそうするほどの能力と魅力がなかったのです。
そのため、「高校生活は、勉強と部活以外なにもやっていない」という印象しか、残っていません。
ですが、クラスではたくさんの友だちができて、今でも遊んだりするほど。
だから、いい友だちに恵まれたことには、感謝をしています。
ですが、「高校生らしい、甘酸っぱい恋愛を一度くらいしてみたかったな」と思うときが、今でもある私なのです。
まとめ
部活漬けのハードな高校生活でしたが、今となってはいい思い出です。
それに、「貴重な経験をさせてもらった」と思っています。
当時はよく泣きましたし、彼氏もできなかったですが、あれだけ毎日を精いっぱい過ごせたのは、高校時代だけです。
胸を張って、「あのころは、勉強と部活を頑張った」と言えるので、それが私の青春なんだと思っています。