35歳男性。フリーライター。
あまりにも妻から小言を言われるので、「尽くしすぎた自分が悪いのか」と悩んでしまうこと多数。
SNSをしていても、愚痴っぽくならないように注意をしなければいけないため、「周囲に気を使うから、疲れるのでは」と、悩む日々を送っています。
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妻を嫌いになったエピソード1.自分の都合の悪い部分だけ忘れたことにする
結婚1年目を過ぎて、妻とよく喧嘩をするようになりました。
最初は私が折れる形で話をまとめていたのですが、段々、要求がエスカレートするようになってきたのです。
物理的に可能なことと、継続して維持可能なことは、まったく別のため反対をします。
しかし、相手がすぐに怒るので、喧嘩になるのです。
たとえば、一日の予定の決め方に関してもそう。
妻の要望を聞いて、休日の過ごし方をスケジューリングすることが多い私。
しかしながら、一日で回りきれない場所を要求されることがありました。
移動時間や買い物にかかる時間を含めて、説明して納得してもらえるなら、まだいいのです。
ですが、「なんとかしろ」と怒られても、どうしようもありません。
前日から妻に言われて、予定を組み立てていたのに、当日になってひっくり返されることもしょっちゅう。
そのうち、妻の怒り方には、ある特徴があることがわかりました。
そのときの気分で、正しいか、正しくないかを判断していて、明確な基準がないのです。
そして、さまざまな無茶振りは、「自分が発言したことを忘れたことにしている」ことも分かりました。
「忘れたことにしている」というのにも根拠があって、こちらを責めるときには、何年も前の話を蒸し返す妻。
しかし、自分の旗色が悪くなると、ついさっき言ったこともなかったことになるからです。
気分屋なのは個性の部分に入るので、まだよいのですが、自分を正当化するために、話の筋を曲げると、話がおかしくなります。
しかも、「忘れた自分には責任がない」という主張されてしまうと、そもそも信用ができなくなるので、約束そのものが億劫に。
妻自身は、私に約束を強制してくるため、余計にそうなのです。
話題の運び方から忘れたのではなく、忘れた不利をしているのが見えてしまいます。
そのうえ、本人もそれを疑っていない状態となると、人間性がねじ曲がっているとしか言えないですね。
妻を嫌いになったエピソード2.「別れるなら、死ぬ」と脅迫してくる
妻は思考が穴だらけなのに、完璧主義者です。
よく、自分に過剰な要求をしては失敗し、泣いたり騒いだりします。
結婚してしばらくは、「優しいから、がんばりすぎているのだなぁ」と思っていました。
しかしそのうち、別に他人に気を使っているわけではないと気づいたのです。
ただ単に思い込みで行動しているだけで、自分の行動を客観的にみて、振り返ることができない性格の妻。
とくに夫婦喧嘩をすることが増えると、それがよくわかるようになりました。
離婚を視野に話し合いをしようとすると、「別れるなら、命を絶つ」と脅すように。
正直、「自分がなにを言っているのか、分かっていないのでは」と思いました。
「自ら命を絶つ」と相手に言うことは脅迫になり、場合によっては逮捕の恐れもあるからです。
「妻の心のなかに、私を気遣う気持ちはないのだなぁ」と確信した瞬間でもありました。
相手に「自ら命を絶つ」と宣言することは、言葉の暴力そのもの。
一緒にいることを強制していることにもなるため、ほかの選択肢は存在しないのです。
必死になって、自分を守ろうとするのは分かります。
ですが、自分を守るなかで、相手への気遣いをなくしてしまうようでは、優しさとはいえないのです。
考えてみれば、妻はちょっと気に入らないことがあれば、「別れる」と頻繁に言っていました。
「ひょっとして、妻は病気なのか」と思って、精神科に行くなど、治療手段がないか、探しましたが、医師の病気が原因ではないという診断も大きかったですね。
「0か1かの極端な思考は、病気ではなく本人の考え方の癖」だと判断されたのです。
愛情をこめて尽くしても、治らないのであれば、さすがに心が折れます。
妻の人間性を明確に「嫌い」だと思えるようになったため、離婚に向けた話を真剣に突き詰めるようになりました。
もちろん、妻が自暴自棄にならないように、軟着陸できる場所を探しながらです。
妻を嫌いになったエピソード3.二人でためたお金を整形に使いたいと言い出す
実際の離婚のための話し合いは、なかなか進みませんでした。
妻が自分の都合のいいように、記憶を書き換えてしまうため、肝心な部分が進まないのです。
結局、キレて疲れたあとでなければ、冷静な会話ができないと学習した私。
なので、妻が暴走しないように、言葉を選びながら、少しずつ話しを詰めていくことにしました。
妻が離婚に反対している理由のひとつが、経済的な安定性にあることが発覚。
妻は当時病気を患っていて、収入がそれほど多くなかったからです。
一方で、私としては「経済的に精神的にも支えている人間に、よく言葉の暴力を振るえるな」という感じだったのですが……。
このあたりは愚痴なので、脇においておきます。
なんとか地雷を踏まないようにしつつ、「経済的な保障をある程度つける」ということで、離婚の話しを進めていきました。
結果として、離婚の話しが具体的になりつつあったのですが、突然妻が、「整形をしたい」と言い出したのです。
経済的な不安を抱えているというから、こちらが支援を申し出ていたのに、整形とは完全に寝耳に水。
妻は顔にコンプレックスがあるため、整形をすることが、自分の病気の治療に役立つと考えたそうです。
はっきりいって理解の範囲を超えていますし、「二人でためたお金を使って整形するなら、離婚後に自分で金を出せ」という感じでした。
反対すれば、またキレかねないというのもありましたが、ただ嫌いを通り越して、あきれ返ってしまった感も若干あります。
離婚はしましたが、貯金は妻のもとに残すなど、本来なら逆になるべき、不公平な条件で離婚。
結果的に、元妻と元夫という関係になりましたが、正直、「縁が切れてよかった」と思っています。
まとめ
私は妻を嫌いになりすぎて、離婚してしまいましたが、「人間的な信用が築けなくなると、一緒にいるだけで辛くなる」というのもよくわかりました。
今度は嫌いにならない人を基準に、恋人や結婚相手を選ぶべきだと思っています。
相手を尊敬できるかは、非常に重要ですね。