29歳、男性、クラウドワーカー。「毎年が厄年」というほどに、ろくことながない。そのため、不快な気分でいることが多く、ほぼ常にうしろ向きに、卑屈に生きている。表には出さないだけで、ささいなことでイラつく機会も多く、自分でももう手遅れだと思っている。
さらに、親からの虐待、迫害から持病を現在でも2つ抱えており、その意味でも手遅れだと思っている。趣味はPC、PCゲーム、ファッション、美容。
見出し
不幸だらけだ。不幸続きの私のエピソード1.幼少期の極貧生活
幼少期の私は、極貧生活を送っていました。
エレベーターさえない、5階建てアパートの5階に住んでいました。
急勾配の階段を上らないと帰れなかったですし、缶ジュース1本を買うお金にさえ困る状況でした。
理由は単純です。
母親はパートで、父親はろくに働こうともしなかったからです。
まだ幼かった私には、事実を完全に把握する能力などありませんでした。
父親は、夕方になると荷物を持って「仕事に行ってくる」と、出かけていたのです。
しかし、成長してから聞いた話によると、仕事ではなく、あろうことか別の女に会いに行っていたそうです。
結局、父親が働きはじめたのは、私が小学校に入学するころでした。
本当に、ろくでもない人間です。
養う気がないなら、子どもなんてつくるなよと思います。
母親も母親です。
なんで、そんなクズ男とくっついたのか。
人を見る目がないにも、ほどがあります。
要するに、両親共にろくでもなかったわけで、その時点で、私が不幸な人生を送ることになるのは確実だったのです。
不幸だらけだ。不幸続きの私のエピソード2.中学時代、魔の1学期
中学受験に成功した私ですが、またしても不幸な運命が待ち受けていました。
1年~3年の毎年、1学期に悲惨な目にあっていたのです。
中1のころは、事故で頭を切り出血し、あまりに出血量が多く、正直自分でも驚きました。
さらに、思いっきり頭をぶつけていたため、CTまでとりました。
幸い、異常はなかったですが。
中2のころは、自転車で家に帰ろうとしていたら、交差点で一時停止無視の車に、横から思いっきり突っ込まれました。
意識が一瞬飛んだのは、このときがはじめてだったと思います。
地面に叩きつけられた衝撃で、意識が戻りましたが、自分の自転車が体に落ちてきました。
立ち上がっても、全身が痛かったです。
あとで聞いた話によると、私ははねられた際、フロントガラスで頭を強打しており、フロントガラスが粉々だったそうです。
当時は、携帯電話を持っていなかったため、通行人の人に貸してもらい救急車を呼んだんです。
救急車のなかで、「あぁ、俺は死ぬんだ」と思っていましたが、軽いすり傷、打撲、捻挫だけでした。
結局、一晩入院しただけで退院し、学校にはすぐに登校しました。
同級生たちに「え、お前本当に事故だったのか!?」というような、反応をされました。
中3のころは、異様な胃の痛みに苦しんでいたんです。
胃が痛むのは、昔からだったのですが、この時は吐き気まであり、学校に行っても保健室で寝てることもありました。
あきらかに異常だと思った私は、主治医に「胃潰瘍ではないでしょうか」と、聞いてみました。
「この歳で、胃潰瘍というのはまずないですが」と、言われました。
しかし、消化管からの出血が確認されたんです。
詳細な検査のために、14歳にして胃カメラを飲むことに。
検査当日、私はひとりで病院へ行きました。
私は、非常に麻酔が効きにくい体質らしく、胃カメラを飲む際にも苦しみました。
結局、追加でなん回も麻酔をかけました。
それでも、非常に苦しかったです。
もう二度と、胃カメラは飲みたくないです。
病気は、治りかけの十二指腸潰瘍(ストレス性)と診断されました。
親からの、虐待と迫害によるストレスでしょう。
不幸だらけだ。不幸続きの私のエピソード3.高校以降の不治の持病2つ
中学生までの私は、虚弱体質でした。
胃が弱く、冬になると風邪が治ったと思ったら、また新しい風邪をひいていたほどです。
鼻血もよく出ていましたし、インフルエンザにも2年に1回はかかっていました。
ところが、高校に上がるころに状況は一変します。
5年半も風邪をひかず、インフルエンザには一切かからず、胃が痛むこともめったになくなりました。
あまりに頑丈になったため、自分でも驚きました。
しかし、それと引きかえに、生涯治癒しないであろう持病を2つ抱えてしまったのです。
1つ目は、双極性障害、躁鬱病です。
この病気は、9割の患者が生涯治らないものです
私の場合、気分ではなく体に症状が出るタイプのもので、ひどいときは数日間寝込んでいたりしました。
この持病、発覚時に病院で、体質に合わない薬を出されたことがありました。
食欲そのものが完全に消失し、再び胃カメラを飲むハメになりました。
19歳のときです。
2つ目は自律神経失調症で、とくに寒い時期や、雨続きのときによく体調不良になります。
この病気も、治癒のきざししがなかなか見えません。
この2つの持病のため、ニートだった期間もそこそこあり、今でも在宅でないと仕事ができない状態です。
体調が安定しない時期が多いため、安易に継続案件も受けられません。
そもそも、自宅療養中の人は、NGの継続案件というものも存在します。
もう、こうなるとお先真っ暗ですね。
まとめ
いかがでしたか。
もう、私はこの先も死ぬまで、常に不幸続きであることを覚悟しています。
それでも、いまだに、ひどい目にあったとき開き直れずに、たびたび不快な気分になる自分が嫌です。
「生まれたくなかった」と頻繁に思いますが、当然、過去を変えることはできないのです。