29歳、男性、クラウドワーカー。親を含む親戚からのあつかいが昔からひどく、良好な関係なのは伯父だけである。それも、一方的に悪意や敵意をぶつけられてきたため、二度と関わりたくない親戚も。趣味はファッション、PC、PCゲーム、美容。極度のインドア派。
親戚が「嫌い!」となったエピソード1.害悪をまき散らす祖父母
私は、以前から祖父母と関わるのは億劫でした。
ひとりで行動するのが、一番好きというのもありましたが、行動を共にするととにかく面倒臭いです。
理由は、とにかく私の行動にケチを付けてくるから。
私が、まだ18歳のころ伯父の提案で、私はタイに2ヶ月間滞在することになりました。
なぜか、祖父母と一緒に行かなければならなくなったんです。
この時点で、嫌な予感はしていました。
7月だったのもあり、うだるような暑さのなか、準備をしていたんです。
祖母は、なん回も「準備はできているのか」と、言いにきます。
いい加減うんざりした私は、「準備の邪魔だから、向こう行ってろ!」と、思いっきりドアをしめました。
そして出発当日、その場に伯父がいなかったのが、不幸のはじまりだったのかもしれません。
タイへ出発の日、伯父の家に集合して、最寄り駅に向かうのかと思っていました。
しかし、タクシーで高速バスのターミナルに向かい、そこから高速バスで成田空港へ行くと。
時間も手間も運賃も、なん倍もかかるんですよ。
最寄り駅までタクシーで行けば、エスカレーターもあったのに。
とりあえずは、「老人だから仕方ない」と、自分に言い聞かせてタクシーと高速バスに乗りました。
実は、私は非常に車酔いしやすい体質なのです。
念のため、持っていた酔い止めを急いで飲み、高速バスに乗ってからは気をまぎらわすために、伯父に借りたノートPCを開きました。
すると祖母は「もう、PC開いてるの」と、言ってきたんです。
「うるせぇよ、人の行動にいちいちケチつけんな」と思いましたが、それは言わずに舌打ちだけして、黙って音楽を聴いていました。
空港に到着すると、今度は祖父が無茶ぶりをしてきたんです。
祖父は、今までなん回も搭乗経験があったんですが、私ははじめての飛行機だったんです。
それにも関わらず、窓口探しなどのなにからなにまで、すべて私に丸投げ。
「老人だから仕方ない」と、とりあえず我慢。
窓口探しから、一連の手続きまでをおえました。
ぶじに搭乗はできたのですが、ノートPCのバッテリーは切れ、祖母が眠って寄りかかってくる。
私は、人に触れられるのが大嫌いな人間です。
そのような状況で、安息を得られるはずがありません。
さらに、私には狭すぎるエコノミークラス。
「はやく着いてくれ」と、思い続けました。
なんとか到着し、ようやく開放感を得られ、タクシーでホテルに向かいました。
当時の私は、タイ語はもちろん英語もろくにわからず、電子辞書で調べてようやく話せるレベルだったんです。
当然、会話は祖父に任せようとしました。
でも、祖父もろくに英語がしゃべれず、黙ってる私に「なんだ、お前は耳が聴こえないのか」などと言ってくるんです。
軽くスルーしつつ、案内された部屋はふたり用の部屋。
絶対ひとりで寝たい私は、ロビーで寝ることに。
その後、伯父がタイに到着し、伯父の所有するマンションへ移動しました。
なんとこのマンション、祖父母の部屋にしかエアコンがなく、つけると「寒い」と苦情がきます。
仕方なく、昼寝て夜活動するスタイルにしました。
夜、電気をつけると奥の部屋にいる祖父母が起きると思い、ノートPCの画面の光だけで生活。
それを「昼間は寝呆けて、夜起きてはゲームばかりしてる」と、意味不明なことを伯父に伝えたようで、取り上げられたのです。
それ以外でも、風呂に入ってるだけでいちゃもんをつけられたり。
祖父母ふたりで私の悪口を言い、面倒を見てもらっている現地の人にも、横柄な態度を取る祖父。
いい加減、たえきれなくなった私はマンションを飛び出し、ホテルに滞在することにしました。
英語もしゃべれるようになってきて、ホテルの従業員の人たちとも仲良くなり、充実した海外生活を送れていました。
しかし祖父と再対面することになったとき、抑えてきた私を「キレさせる」ようなことが、起こったのです。
酔っ払った祖父は、突然私に対して「この家のものに触れたら承知しねぇぞ!」と、怒鳴ってきました。
私は「なにも触れてねぇっつってんだろうが!」と怒鳴り、思いっきりドアを閉めて出ていきました。
伯父が再び現地に来ているとのことで、伯父に挨拶しに行ったのですが、そのときも祖父が私に言いがかりをつけてきたんです。
伯父が「いいから座ってなさい」と、私に言いましたが、今度は祖父のいちゃもんの矛先は伯父に向いたのです。
祖父は、伯父に対して「誰が育ててやったと思ってるんだ!」など、意味不明なことを言いはじめました。
さすがの伯父も、これには怒りました。
私はこのとき、「日本に帰ったら、祖父母とは関わらない、葬式にも行かない」と、心から誓いました。
親戚が「嫌い!」となったエピソード2.祖父を引き取り、私は追い出される
2012年5月、珍しく体調がよく、5月の気候を楽しんでいた私に母は、唐突に言いはなちました。
「おじいちゃんが骨折したから、手術の立ち会いに行って」と。
私は東京在住なのに、名古屋まで。
私は、断固断り続けましたが、「最低限の協力ができないなら出て行け!」と、怒鳴りました。
つい「追い出したかったら、追い出してみろ」と、言ってしまったのです。
その後、入院中の祖父を引き取るという形で、母親は本当に私を実家から追い出したのでした。
祖父は、幼少期の伯父を虐待していましたし、母は当然そのことを知っていました。
それなのに、性根がくさりきった祖父をわざわざ引き取ったんです。
そして、体調不良の私を追い出したのです。
親子そろって、私に恨みでもあったのでしょうか。
まとめ
いかがでしたか。
子は親も親戚も選べません。
人に恵まれない、とくに親を含む親戚に恵まれないことは、ある意味で一番不幸なことなのかもしれません。
「あんなのと、同じ血が流れてると思うだけで嫌」と、いう人が少しでも減ることを心から願います。