50歳。女性。
三人の息子のシングルマザーで、心理カウンセラーをしています。
親子間、夫婦間、嫁姑、舅などなどあらゆる人間関係において、幼少期から気苦労の絶えない半生。
息子たちがようやく成長し、大人になり、第二の人生を歩みはじめました。
経験を無駄にすることなく、宝に変えて、仕事に活かしていこうと思っています。
見出し
- 1 お母さんをやめたいと思ったエピソード1.三男が外食中に吐いた
- 2 お母さんをやめたいと思ったエピソード2.熱を出して寝込んでいるときに、長男が友だちを10人以上も連れてきた
- 3 お母さんをやめたいと思ったエピソード3.次男がいやらしい文を書いて担任から怒られた
- 4 お母さんをやめたいと思ったエピソード4.次男が友だちと一緒に弟の同級生をボッコボコにしてしまい、担任や相手の親ならこっぴどく怒られた
- 5 お母さんをやめたいと思ったエピソード5.児童相談所のケースワーカーから嫌味をグチグチ言われたあげく、息子たちにも手をやいた
- 6 お母さんをやめたいと思ったエピソード6.次男が犯罪にもなるような悪さをして、先生からも嫌味を言われた
- 7 お母さんをやめたいと思ったエピソード日7.次男と友だちが家のなかで爆竹をしたり、火遊びをしてボヤを出した。
- 8 まとめ
お母さんをやめたいと思ったエピソード1.三男が外食中に吐いた
三男は外食すると必ず、二品以上頼まないと気が済まない子でした。
普段から大食漢でしたが、外食だとあれもこれも食べたくなり、たくさん頼まないと、ぐずり出して泣きわめくのです。
その日は、お台場の船の科学館に遊びに行った帰り。
最寄駅について、「ラーメンでも食べて帰ろう」ということになり、駅前の中華屋さんに入りました。
私と主人、長男、次男はラーメンと餃子のセットと、皆同じにしたので、三男にも「同じでいいよね?」と聞きます。
安く済ませたいのもあって説得したのですが、まったく聞いてくれません。
結局、三男だけ唐揚げ定食にラーメン、餃子を頼みました。
料理がくると、凄い勢いで食べはじめる三男。
そして、10分もしないうちに、食べ終えてしまいました。
しかし、その直後、客さんがたくさんいるなか、一気に吐いてしまったのです。
店員さんもお客さんたちも、嫌な顔はせずにいてくれました。
ですが、三男の外食中のワガママはそのときだけではなかったので、腹が立ち、それと同時に、周りに申しわけない気持ちでいっぱいに。
長男、次男はまだ少し残っていましたが、弟が吐いたのを見て、食欲をなくして残してしまいました。
私は雑巾とバケツを借りて、きれいに掃除。
吐いてしまったことと、長男、次男が残したことで結局、コンビニでおにぎりを買うことになりました。
吐かれたことも嫌でしたし、遊びに出かたうえに、さらに出費がかさみ、私はイライラしてきて、「お母さんなんかやめたい」と思いましたね。
お母さんをやめたいと思ったエピソード2.熱を出して寝込んでいるときに、長男が友だちを10人以上も連れてきた
長男が小学校5年のころ、よく友だちを家に連れてきて遊んでいました。
3年生から、私が帰るまで留守番してくれていたので、友だちがきてくれるのはありがたいことだと思います。
しかし、困ったことに休みに熱を出したり、体調が優れなくて、静かにして欲しいときでも、いうことを聞いてくれずに、友だちを呼ぶのです。
とくにいやになったのは、ふすまを開けたら15人以上も部屋にいて、輪になって遊んでいたことです。
当時、我が家は2Kの狭いアパートで暮らしていたので、子どもたちがいる部屋を通らないとトイレにいけません。
まして熱で髪はボサボサ、顔も洗ってませんでしたから、そんなにきていたことに驚き、瞬時に嫌な気分に。
そして、私が具合が悪いのに察してくれない息子に、腹が立って、お母さんをやめたくなりました。
お母さんをやめたいと思ったエピソード3.次男がいやらしい文を書いて担任から怒られた
次男が小学校2年のときのこと。
次男はそのころからませていたのですが、そこに主人のダブル不倫騒動があり、話の全容を知っていた次男(主人が自らバラした)。
そのため、男女関係について、興味が深くなってしまいました。
そして、さらにショックだったのは、ノートにAVの脚本のようなストーリーをあからさまに書いて、先生に見つかったことです。
私は学校に呼び出されて、事実を知り、ノートを見せられました。
そして、「どんな教育をしてるんですか?」と、担任と教頭の二人から怒られたのです。
帰り道、自転車を漕ぎながら情けなくなり、お母さんをやめたくなりました。
お母さんをやめたいと思ったエピソード4.次男が友だちと一緒に弟の同級生をボッコボコにしてしまい、担任や相手の親ならこっぴどく怒られた
それから、すぐあとのこと。
弟にしつこく嫌がらせをする同級生がいたのですが、私は本人にもうしないように話していたので、穏便に済ませるつもりでいました。
ところが、次男と友だちがその子を公園に呼び出して、ボッコボコに殴ってしまったのです。
外は暗くなり、夕飯をつくっている最中に学校から電話が。
長男、三男には先に「簡単に食べてて」と伝え、学校に向かいました。
学校につくと、また担任と教頭からこっぴどく叱られたのです。
そして私はその足で直接謝りに行くつもりでいたのですが、相手の親御さんから、「顔も見たくない」と断られました。
そのあと、三男の担任までもが加わり、グチグチと嫌味を言われ続け、私は「お母さんをやめたい」と思いましたね。
お母さんをやめたいと思ったエピソード5.児童相談所のケースワーカーから嫌味をグチグチ言われたあげく、息子たちにも手をやいた
その後、息子たちは児童相談所に夏休みに入る数日前から、夏休みが終わるまで預かってもらいました。
「私が主人の介護だけでボロボロになっていたことと、お酒を飲んでは暴れたり、失禁する主人を見せることがよくない」と判断したからです。
そして、夏休みに入る前日に主人は亡くなりました。
児童相談所に連絡すると、ケースワーカーさんが迎えにきて下さり、直後息子たちに伝えるため、私は児童相談所に。
面談室で待っていると、息子たちは三人でやってきて、ソファにすわりました。
「少しの間、元気にしてた?」など、様子を聞いてから、主人が亡くなったことを伝えたのです。
三人とも「え?」という顔をして、驚きます。
そして、泣き出した次男から、スリッパを顔に投げつけられたのです。
その後、しばらくして、ケースワーカーさんから連絡があり、引き取り日について聞かれました。
そのとき、私はちょうど、寝込んでいた状態。
介護の間病院に行かれず、怪我の後遺症からの痛みを我慢していました。
そのため、葬儀後から起きあがるのもやっとになってしまい、寝たり起きたりを繰り返していたのです。
病院に行く、元気すらないほどでした。
その状況を話したのですが、理解してもらえず、夏休みいっぱいの約束は撤回になり、ケースワーカーさんが連れて息子たちは帰宅。
一番困るのは食事がつくれないことなので、状況を話し、夏休みいっぱい預かってもらえないか、お願いしたのです。
しかし、まったく我が家や私の状況がわかっていないようで、「体調が悪いのも、部屋を片せないのも怠慢だ」とまで言われました。
私は怒りが込みあげてきましたが、グッと堪えて我慢。
私が甘やかしたからかも知れませんが、息子たちは私が具合が悪かろうが、おかまいなし。
買い物すらだれも行こうとしないのですが、それがどれだけ私にとって辛くて、大変か分かってもらえなかったようです。
ケースワーカーさんに対しての嫌な気持ちと、私におかまいなしで、買い物や料理、部屋の片付けを一切手伝ってくれない息子たち。
そんな状況に腹が立って、お母さんをやめたくなりました。
お母さんをやめたいと思ったエピソード6.次男が犯罪にもなるような悪さをして、先生からも嫌味を言われた
次男が中学1年のときのこと。
友だちからゲーム機を預かって、ゲームのデータをダウンロードし、入れてあげるという商売をしていました。
受けてくる次男も悪いのですが、頼む側のしつこさも異常といえます。
私は先生に話して、関わりのある子全員を集めてもらい、学校で話し合いをしました。
「今後は一切しない」と約束してくれたので、一安心。
ところが後日、次男から先生がなんと言っていたかを聞かされ、唖然としました。
私のことを「モンスターペアレンツ」だと、言ったのだそうです。
肩から力が抜けて、なにもかも嫌になり、お母さんをやめたくなりました。
お母さんをやめたいと思ったエピソード日7.次男と友だちが家のなかで爆竹をしたり、火遊びをしてボヤを出した。
その後、以前のようなことはなくなりましたが、その代わりに、家のなかでの悪さが激しくなりました。
その一例が爆竹をしたこと。
仕事から帰ると、部屋が火薬臭いので、すぐにわかりました。
それから、スプレーにマッチで火をつけるといういたずらをして、火事に。
このときは私は家に居合わせたので、すぐにバケツに水を汲んで、火もとにかけ消火できたため、大事にはなりませんでした。
しかし、私はたび重なるイタズラや悪さに疲れ果て、お母さんをやめたくなったのです。
まとめ
主人がなくなってから、子どもの世話から、家事まで一通りこなしていた私。
毎日の生活のなかで、何回も「お母さんをやめたい」と思いました。
しかし、そんな手のかかった子どもたちも成長し、大人になってからは、私を気遣ってくれたりと、いい子どもたちに。
これからは、自分のために時間を使っていきたいと思います。