中学生の時に友達がいないことで辛かったエピソード5つ

学校の風景

33歳男性。今はたまにアルバイトもしながら資格試験の勉強中。中学校に上がったころからカースト制度を知り、極度の人見知りを発揮。以降は高校大学ともになかなか友達を作れないまま、友達がすくない人生を送っている。辛い時期もあったが、33歳になった今では狭く深い友人づきあいができているので、それなりに楽しくやっている。

 

 

友だちがいないことで辛かったエピソード1.遠足や修学旅行のときに、一緒に行動する友だちがいない

旅行

 

遠足や修学旅行、文化祭や体育祭などふつうは、友だちと、たくさんの思い出をつくるべきできごとでも、友だちのいない私にとってはとてもつらいものがありました。

一緒にその時間をすごす友だちがいないのです。

だからと言って、休むわけにも行かないので、なんとか重い足取りで学校に向かったことを覚えています。

 

私に友だちがいないことは、まわりはみんな知っていたと思いますが、それでも私のなかで「友だちのいないやつ」と思われたくない、という感情もありました。

そこで、文化祭の場合は、たとえばどこかのクラスが出店している屋台に2~3人前のご飯を買いに行き、売っている人には、「僕は友だちと食べるんだけど、その代表で買いに来たんだ」という雰囲気を全面的に出しました。

そのあとは、当然、一緒に食べる人はいませんから、クラスメートに見つからないように校舎の裏などで急いで2~3人前を無理にかき込んでいたのを覚えています。

 

友だちがいないことで辛かったエピソード2.体育の授業などでペアを組んで練習するときに辛い

体育帽子をかぶる子供

 

よく、体育の授業中などでウォーミングアップのときに先生が「二人一組でペアをつくって、ストレッチしろー」と言ってきました。

よくある、背中を押してもらったり、背中に乗せあったりするストレッチです。

私はあれが大変苦痛でした。

 

当時、すでに背がまわりよりも伸びていたこともあって、背中に乗せあうストレッチなどは、体格に差があると、小さい体の人がつらいのもわかっていたので、誘いにくいのもありました。

それに、たいていが仲のいい子とペアを組んで楽しそうにしています。

休みの具合などで男子の数が奇数だったときは、必ず先生とペアを組まなければならないのが、「友だちがいない」ということをさらけ出しているようで、苦痛で仕方がなかったです。

 

友だちがいないことで辛かったエピソード3.お昼ご飯を一緒に食べる人がいない

学校机といす

 

毎日あるお昼ご飯の時間がとても苦痛でした。

私の学校は、給食は班で食べるというルールではなく、完全に自由でした。

みんな、仲の良い友だち同士で、昼休みがはじまると同時に、机をくっつけて楽しそうに食べているなか、私はその相手がいつもおらず、さびしい時間をすごしていました。

 

お昼休みもなかごろになると、顔の広い連中にはとなりのクラスの男子が遊びの誘いに来たりもします。

そんなときに、「あいつ、いつも一人だな」とほかのクラスにまで、私に友だちがいないということを悟られるのが嫌。

なので、できるだけ目立たないように、かつ、さりげなく大きな集団の近くを陣取り、あたかもその集団の一味であるかのように見せていました。

 

もちろん、誰一人話しかけてくれるわけでもありませんし、聞こえてくる楽しい話に私が笑うことも許されません。

なんともむなしい時間を毎日すごしました。

 

 

友だちがいないことで辛かったエピソード4.帰宅時一人で帰る

社会人の帰宅

 

下校の時間になると、こぞって仲のいい子同士で集まり、「帰りに~によっていこう」や「今日あいてる?」などと、一緒に帰り支度をしながら楽しそうに話をしているのを横目に、私は一人で帰っていきました。

教室を出るとき、もちろん誰も「ばいばい」とも言ってくれません。

私は空気のような人間生活を送り、大変つらかったことをよく思い出します。

 

また、うまく教室を出ても、そのあとの帰宅途中に、同じクラスの連中が集団で帰りながら、「カラオケに行こう」「ゲーセンに寄って行こう」などと盛り上がっているのを聞いてしまった日には、とても落ち込みました。

一度、わざと遠回りして時間差をつけて、ばれないようにそのゲーセンに向かったこともあります。

遠目で彼らを見つけ、ゲーセンで、みんなで楽しそうにしているのを見たときは、「どうして僕は一緒に遊べないのかな?」と、とても悲しい気持ちになりました。

 

友だちがいないことで辛かったエピソード5.休み時間をすごすのが苦痛

走り回る子供たち

 

中学校の各授業の合間に、休憩がありますよね。

その時間も、仲の良い友だちがいる連中は、集まってなにかに盛り上がっているのです。

 

ときには、「授業始まるぞ!」と先生に怒られるほど、盛り上がりや笑いが止まらない状態で、授業を開始している生徒もいました。

私は、それがとても羨ましかったのです。

 

でも、そこに入ることは到底かないませんし、かといって毎回の休み時間、ずっと一人で席に座っているのも「独りぼっち野郎」と思われるのではないのか。

これが、いじめに発展するのではないか、と恐れていたため、できるだけ次の授業の予習をしているふりをして、「ただのまじめ君」アピールをしたり、誰かが一人でトイレに立つと、さりげなくその後ろを追いかけたりして、一見「一緒にトイレに行っている人」のように見せていました。

 

当時の私にも、少なからず「あいつも一緒にトイレ行く友だちいるんだ」と思ってもらいたい、と小さなプライドがあったのです。

当然、その追いかけられているほうの男子は気づくわけもなく、話をするわけでもありません。

 

本人があとから、「あいつと仲良かったの?」と聞かれたら「なんのこと?話したこともないよ。」と全否定されることもわかっていました。

それでも一日になんどもある休み時間をすごすのが苦痛で、せめてもの抵抗としてそのような行動をとっていました。

 

まとめ

友だちがいない人間も、実は心のなかでは、友だちと楽しくすごすことに憧れをもっている人が多いです。

さらに、自分に友だちがいないということを人に悟られたくないという感情ももっているのです。

「あいつは一人が良いんだろう」と思われる傾向にありますが、決してそうではないことを是非知っていただけたらと思います。