27歳女性。
イラストレーター、自営業。
霊などを見たことはないが、デジャブなどは、日常のなかでたまに体感します。
占いで、唯一信じるものは夢占い。
「どうせなら、1度くらいは大金持ちになった夢を見てみたい」と、密かに願うアラサーです。
見出し
夢が現実になる体験をしたエピソード1.幼少期から、定期的に見る同じ夢
私は現在27歳なのですが、6歳くらいのころから定期的に見る夢があります。
その夢は、3ヶ月に1回くらいのスパンで繰り返し見て、同じ場面からはじまり、同じところで終わるのです。
なので、その夢を見はじめると、私はすぐに気付き、「あぁ、またこれか」と、夢であることを自覚します。
なので、ある種の明晰夢であることには間違いないのです。
ですが、だからといって、私の夢のなかでの行動が変わるわけではありません。
むしろ、決められた台本のように、同じ夢を演じています。
なにを示唆するのか、ずっと気になっていたのですが、25歳のころにその夢が現実になったのです。
夢が現実になる体験をしたエピソード2.謎の洞窟と恐ろしい鬼
その夢のなかでは、私はいつまでも6歳で、3つ上・6つ上の従兄弟と一緒に、後部座席に乗っています。
青い車に乗っていて、運転しているのは父です。
助手席には、祖母が座っています。
そして、その車は山道をずっと進んで行き、とある開けた駐車場に到着。
その駐車場はとても見晴らしがよく、遠くの山々まで、見ることができるのです。
アスファルトに白線が引かれただけの駐車場で、父の車が止まると、後ろからきた車から、母と祖父と、叔父に叔母が出てきます。
とても広い駐車場なのですが、私たち以外の車は1台も止まっていません。
自動販売機などもなく、警備員もいないような、寂しく静かな場所です。
そして、駐車場の端っこには、岩でできた暗い洞窟があります。
そのなかに、なにがあるのか、私は分かりません。
しかし、みんなはなにがあるか知っているようで、どんどん先に行ってしまうのです。
私はおいていかれるのが怖くて、小走りでついていきます。
ちなみに、夢のなかの私は子どもの姿なので、小走りをしないと追いつけません。
家族の列のなかで、私は最後尾を歩きます。
なかは真っ暗ですが、先頭の父が持っている松明で、周りはなんとか見渡せるほど。
みんな談笑をしながら、明らかに、なにかしらの目的を持って進みますが、なんだか怖くて聞けません。
そして洞窟の途中、左手に鉄格子があるので、いつも私はそのなかを覗きます。
その檻の奥には、体育座りでうずくまっている巨大な青い鬼が。
私はなぜかその鬼から目を離せず、みんなが歩いて進んでしまうのを気にしつつも、立ち止まって見てしまいます。
すると、私の視線に気付いた鬼が、ものすごいスピードど恐ろしい形相で、いきなりこちらに近付いてくるのです。
そして、鉄格子の内側から、「ガン!!」と、大きな音を立てて、檻を掴みます。
私は、鬼の一連の動作に毎回とても驚き、そして、そこでいつも目が覚めるのです。
夢が現実になる体験をしたエピソード3.彼との歴史デートで、驚きの光景が
20年近くの間、この夢は私のなかで、大きな謎となっていました。
「あの場所が果たしてどこなのか。そして、鬼の存在がなにを意味するのか……」
同じ夢を見るたびに、なにか新しい情報を得たいところ。
ですが、なんだか恐ろしくて、決まった行動以外、動くことができません。
忘れたころにまた見るので、中途半端にモヤモヤしたまま、年月が過ぎていきました。
そして、25歳になったある日のこと。
当時付き合っていた男の子と一緒に、長野県の近郊にある坑道へ、ドライブに行くことになりました。
私も彼も、自然や歴史に興味があるタイプだったので、行きの少し長い旅路でも、ワクワクしながら向かっていたのです。
ですが、坑道に向かう山道の途中で、不意に不思議な感覚に襲われました。
「この道、どこかで見たことあるな……」と。
山の隙間にふと見える景色やカーブの感覚なども既視感があり、違和感を感じます。
そして、坑道の駐車場に到着したときに気付いたのが、山道もその駐車場も、あの夢のなかで見た、景色そのままだということです。
駐車場から見える山々も、そして、脇にある坑道への入り口もそのまま。
違うのは一緒にきた人と、坑道の入り口が夢より少し綺麗であったのと、入り口に看板が添えられていたことくらいでした。
さらに驚くべきことに、駐車場には夢の通り、私たちの車以外誰もいず、乗ってきた車は青いインプレッサだったのです。
夢が現実になる体験をしたエピソード4.坑道の真実と、夢の真実
坑道への興味とはまた違う興奮を覚えながら、そのなかに入ると、やはりなかのつくりも、ほとんど夢で見た通り。
ヘルメットを付けて坑道を進むと、なかは500mほどで、一般人は行き止まりとなるようです。
左に目をやると、鉄格子はないものの、小さな鳥居などが添えられていました。
そしてそこは、夢のなかで鬼が襲ってきた場所。
帰宅してから、その坑道について深く調べてみました。
どうやらそこは、私が生まれるずっと前の戦時中に、つくられた坑道だったそうで……。
つくっている最中に、労働環境の悪さで、何人もの人たちが亡くなってしまっていたとのこと。
爆発物を使用した際の凄惨な事故もあり、不幸な結末を遂げてしまった人たちが、たくさんいらっしゃるのだとか。
そして、その坑道から帰ってきてから、現在までの2年間、1度もその夢を見ることはなくなりました。
「もしかしたら、不幸な事故で亡くなった人たちの無念が、私にその夢を見させたのかもしれない」
今でも、そう思っています。
恐ろしい顔の鬼は、彼らの無念や憤りの象徴だったのかもしれません。
「夢のなかで、家族と一緒だったのは、やはり犠牲者たちにも家族がいたからこそ、その想いが成し遂げた結果だったのでは」と思います。
坑道の行き止まりの先には、結局なにがあるか、見ることはできませんでした。
「もしかしたら、死者の魂の行き先なのでは……」
今思うと、そんな思いをはせてしまうできごとでしたね。
まとめ
私は霊感などがあるタイプではありません。
しかし、この夢のできごとについては、とても印象深く覚えています。
普段は、起きたら忘れてしまっているような夢のなかにも、もしかしたら大きなメッセージが隠されているのかもしれません。