47歳女性。
アパレル勤務を退職して、25歳で元旦那と結婚し、専業主婦となる。
31歳のとき、1歳と5歳の息子を連れて、離婚。
33歳で再婚し、保育所勤務、介護職勤務を経験しました。
41歳で、血液がんが見つかり、翌年に治療のため、休職から退職となり、現在は無職。
趣味は、洋裁や小物をつくることで、最近メルカリでのやりとりを満喫中です。
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離婚を友だちに話したときのエピソード1.家の近所の友だちには、2週間ほど前に報告した
離婚したとき、子どもが5歳と1歳。
当時住んでいた近所には、長男の1歳年上の男の子が、近くに住んでいました。
その子が幼稚園に行くまでは、毎日のように家を行ききして、一緒に昼食をとっていましたね。
それほど、親子ともに、仲がよかったのです。
ほかにも、子どもを通じて知り合った友人が、数人いた私。
一緒の子育てサークルに入ったり、子連れで習いごとをしたり、毎日仲よく楽しく過ごしていました。
そんななかだったので、長男は「引越しする」ということが、最初は嫌で仕方なかった様子。
私としても、無理やりに連れて出ることは、したくありませんでした。
なので、ゆっくり事情を話して、納得してもらうところから、スタートしたのです。
ゆっくり事情を説明したおかげか、長男も納得したようで……。
すぐに、友だちや幼稚園の先生に、「引越しする」と言い回っていました。
うちは協議離婚で、私が主導権を握って、離婚届を大切に持っているパターンです。
離婚届にサインをしてもらったら、すぐに引越しの日を決定。
そのあと、離婚が決まったその当日に、転出届と離婚届を同時に役所に提出して、違う都市へ行く段取りにしていました。
一番仲よくしていた1人には、迷っていたところに、ちらっと夫の暴力の話をしたことがあります。
そのときに「知り合いに調べてもらったから!」と、DVから身を守るすべが印刷されたマニュアルをくれました。
「いずれは……」と、予想していたかもしれません。
私が打ち明ける前に、「子どもから引越しするって聞いたけど、覚悟決まった?」と、話しかけてくれた友だち。
離婚が決まっても、すごく前向きに応援してくれました。
そのほかの友だちは、「寝耳に水」といった感じだったようです。
家では、激しく罵られて、ボロボロになっていても、外では家族仲良さそうに振舞える、仮面夫婦のような状態でした。
そのうえ、悩みを相談することもなく、つきあっていましたからね。
友だちに、夫の暴力の話なんて、恥ずかしくて言えなかったのが、離婚を決めたら、ふっきれた私。
「実は……」と、ぽつりぽつり話しはじめたものの、勢い止まらず……。
「すごい暴力振るわれる! このままじゃ、子どもたちまで危ないし、私は子どもたちを守る責任があると思う!!」
みたいなことを力説して、テンションがあがった状態にいました。
みんなも同調してくれて、4家族ほどが集まって、「私たちの引越しの門出の祝いに」と、「もちつき」を開催してくれたのです。
もちつきには、ほかのお父さんたちも出席してくれました。もちろん、うちは夫抜き。
田舎だったので、たまに集まって、やっていたのです。
次男は、小さくて覚えていないようですね。
ですが、私も長男も、「お見送りの会」のもちつきが、とても嬉しくて、いい思い出になりました。
離婚を友だちに話したときのエピソード2.親友を含め友だち、親戚一同にはハガキで報告した
離婚直前から、あらゆるところでしゃべりすぎたのが、原因でしょうか。
風邪をひいてしまい、離婚当日には、ひどいかすれ声になっていました。
転入届けや、子どもたちの保育所の申し込みやらの手続き中に、役所の人に「大丈夫ですか?」と、言われたほど。
当時はまだ、携帯電話を持っていない友だちも多く、メールのやりとりをすることもなかったので、伝えるとすれば、電話となります。
」こんな声だし、ひとりひとりに電話して離婚した話、引っ越した話などをするのは、手間だ」と、考えた私。
そこで、買ったばかりのパソコンで、「離婚しました」ハガキを作成しました。
年賀状を送っていた仲間全員に、投函したのです。
「結婚しました」のハガキは、印刷の注文もできるでしょうが……。
さすがに、「離婚しました」ハガキは見本も見ないので、作成。
「自分でつくってみました」と、おおきなビールで乾杯するイラストを添えて、新住所、新氏名など、ユーモアたっぷりのハガキができました。
そのあと、一斉に投函して報告。
「本当に気になった友だちは、個人的に連絡してきてくれるかな」
当時は、「連絡をしてくれた人にだけ、詳細を話せばいいな」と思っていました。
離婚を友だちに話したときのエピソード3.親友からは電話をもらい、会って話した
学生時代からの親友2人から、「ハガキ見たけど……」と電話をもらったので、さわりだけは、電話で説明。
そのあと、引っ越した小さなアパートにきてくれたので、いろいろな話をしました。
親友の1人は、元夫の親友と、私たちが結婚した少しあとに、結婚した子です。
なので、家族ぐるみでもつきあいはあったのですが、うちが子ども2人に対して、子どもができずに、悩んでいた時期がありました。
なので、だんだんと、具体的に一緒に遊ぶということは、減っていったのです。
「離婚前には話せなくて、決めてしまってから、相談ではなく、報告といった感じだった」
そのように、記憶しています。
めちゃくちゃびっくりされましたが、離婚後にいきさつを話すと、盛りあがり、同調してくれました。
ちなみに数年後、彼女も離婚したそうです。
親友のもう1人は、長男が同級生の男の子。
なので、赤ちゃんのころから、何度か遊んだことがありましたが、おたがい子育てが忙しくて、だんだん疎遠になっていた感じです。
「持って行った婚礼のたんすと、荷物全部、子どものものも、引きあげてきたわ!」
「狭いアパートなのに、ベビーベッド置くところがない~」
このように電話で話すと、「実家に置く、次男用に欲しい」と言われ、取りにきてもらったのです。
親友が高級な大きい車で、新居の狭いアパートの前の道まで、一度きてくれましたが……。
その際、「狭すぎて、二度と車ではきたくない」と言われたときに、格差を感じたのです。
「私たちは軽自動車でも、十分だもんね」と。
まとめ
当時はとにかく、2人の子育てや「今後の仕事をどうするのか」ということで、頭がいっぱいだった私。
なので、「『どうして離婚をしたのか』を長々と話していても、仕方ない」という思いもありました。
なので、あれこれ相談をするというようなことは、なかったですね。
「離婚したけれど、とっても楽しく幸せに暮らしている!」という話がメインでした。