33歳女性、専業主婦。
小学生のときに、父がうつ病になる。
思春期時代は、うつ病の父を恥ずかしく思い、嫌っていた私。
しかし、20代半ばごろになり、父が仕事に復帰したこともあって、親子の関係修復を試みる。
現在は、私の家族と一緒に旅行に行くような仲になり、穏やかに暮らしています。
見出し
父がうつ病になってしまったエピソード1.病気になる前のこと
長年、某大手企業で働いていた父。
毎日片道に一時間以上かけて、通勤していました。
ある日、長年の長距離通勤も報われず、父40歳のときに部署替えにより、自宅からさらに遠い勤務地への通勤が決定。
それにより、通勤時間が片道2時間半を越え、通勤が困難になりました。
そのため、家族から離れて一人で単身赴任することになったのです。
毎週末に家族の住む家に帰ってくる、単身赴任生活を2年ほど続けたころのこと。
父の顔色が悪く、体格の良かった父が、だんだん痩せていきました。
今思えば、このころから「食欲減退」という、うつ病の症状があらわれていたんだと思います。
父がうつ病になってしまったエピソード2.病気になってから、会社を辞めるまで
単身赴任生活が、3年目に差しかかったころのこと。
父が週末だけでなく、平日にも会社を休んで、家にいることが多くなりました。
父は体重も5キロ以上落ち、元気がない様子です。
家にいるときは、読書するのが大好きだった父。
ですが、そのころには読書している様子もなく、一日中テレビの前でボーっとしている様子でした。
大好きな父のそんな姿を見たくなかったので、このころから父を避けるようになっていった私。
今思えば、「なんであのとき、もっと側にいてあげられなかったのか」と悔まれます。
「多分、なにもしてはあげられなかったけれど、寄り添ってあげることはできたな」
30代になった今でも、後悔しています。
それからしばらくして、父はずっと家にいるように。
一日中、ずっとです。
私は当時、小学生だったので、理由がよく分かりませんでした。
ですがおそらく、あのときにはもうすでに、うつ病の診断を受けて、休職していたんだと思います。
このころから、常時何種類かの薬をうつ病の治療のために、飲むようになった父。
出かけるのは、カウンセリング治療のときぐらいになっていました。
父は一日中家にいて、テレビの前で座り、毎日を過ごします。
何時間も何時間も、テレビを見ていました。
仕事を辞めて動かなくなったせいか、体重が減ることはなくなったようです。
しかし、毎日不安そうな顔をして、過ごしていましたね。
自分への不甲斐なさからなのか、家族への八つ当たりがはじまりました。
ご飯をひっくり返したり、些細なことで声を荒げたりするのです。
このころには、母も毎日父の不満を言うようになり、私は私で父を完全に避けるように。
「一日中テレビの前にいる、厄介者」と思っていました。
最初はきちんと行っていたカウンセリングも、だんだん行かなくなってしまい……。
休職してから一年位経ったある日、母から父が会社を辞めた事実を告げられたのです。
父がうつ病になってしまったエピソード3.病気になってから、会社を辞めたあと
別に仕事を辞めたからといって、私にとってはなにも変化がありません。
一日中、毎日家にいる父の情けない姿を見なくてはいけない日々でした。
しかし、経済面のこともあるので、母にとっては大変な毎日だったようですね。
父に不満を漏らすだけでなく、娘である私によくこう言っていました。
「お金がないのに……。これからお金がかかるのに(私はまだ、中学生でした)」と。
父は仕事を辞めてしまった自分のことをますます嫌いになったようで……。
一日中テレビの前で「ボーっ」としては、ときどき一人で涙を流していました。
家族への八つ当たりも、相変わらず続きます。
普通、うつ病なら元気がなくなりそうですが、父は何回も大声をあげていました。
そんなとき私は「本当にうつ病なのか」と、疑問に思っていましたね。
でも、父はうつ病です。
病院でもそう診断されて、もう数年が経過しています。
薬も飲み続けているのです。
「うつ病って、面倒くさい厄介な病気」
そう思ってしまい、そんな病気にかかった父がとにかく大嫌いでしたね。
父がうつ病になってしまったエピソード4.うつ病の寛解
うつ病にかかって10年ほど経ち、父は50代に。
「うつ病が回復した」とは言えませんが、回復の兆しが見えてきたころのこと。
父は再就職に向け、準備をはじめたのです。
うつ病は、時間が治したようでした。
しかし、相変わらず私は父を避けていましたし、母は父に直接文句を言っていましたから、家庭環境は最悪です。
もちろん、病院も変わらず同じところに通って、いつも通り、薬を何種類も飲んでいました。
病気がよくなるような要因は、とくになにも思いつきません。
今思えば、「時間が父の考え方を変えてくれたのではないか」と思っています。
このころから、あんなに嫌がっていたカウンセリングに再び行くようになった父。
父は50代になって以降は、家族への八つ当たりも少なくなっていきました。
それからは、少しづつ読書をしたり、自分の興味のあることをネットで検索するように。
相変わらず、通院以外の外出は避けていましたが、それでも少しづつ変化していったのです。
長年大手企業に勤めていた父が、半年かけてやっと見つけた仕事は警備の仕事でした。
当時の成人を迎えていた私。
「プライドもこだわりも、父にはもうないんだ」
当時はそう思っていたので、父がいなくなると、悲しくて泣いていました。
そんな私の思いとは関係なく、仕事を続けていた父。
たまに人間関係から愚痴を言ったりすることはあっても、ご飯を引っくり返すような激しい八つ当たりは、もうしなくなっていました。
父は年齢を重ねたこともあってか、前より穏やかな性格に。
そのころには、父のことを嫌って冷たくしていた自分が恥ずかしくなって、父に話しかけるようになっていました。
父は私の質問に恥ずかしそうに答えるくらいで、たいした会話にもなりませんでしたが……。
今でも、そのときに見つけた警備の仕事を続けています。
定年を迎え勤務時間を減らしてはいますが、今でもコツコツと働いているのです。
まとめ
うつ病は「この時点で回復した」という、明確な自覚がない病気だと思います。
父がうつ病のときに冷たい態度をとっていた私が言うのもなんですが、「側にいる人間は信じて待ってあげるしかない」と思いますね。
「ずっと病気に付きまとわれても、毎日を一生懸命過ごすしかない」と思いました。