自分の母親をうざいと思ったエピソード3つ

うざい

27歳女性。イラストレーター、WEBライター。小さなころから絵が好きで、20代のころからイラストの仕事の受注を開始。活字が好きなこともいかし、ライターとしても在宅で働きながら、愛しい旦那と猫と生活中。

 

 

自分の母親をうざいと思ったエピソード1.社会的になかなか信用してもらえない

いやだ 

 

私は、現在イラストレーターやライティングなどのお仕事で、生計をなり立たせています。

ぜいたくな暮らしができているわけではありませんが、一般的な社会人の年収くらいは稼いでいます。

 

多少のぶれはありますが、旦那の稼ぎと合わせればふたりで、充分な生活をしていけるくらい。

ですが私の母は、いまだに私を社会人として認めてくれません。

 

フリーで活動していると、不安定になる時期があるのは当然です。

しかし、母はそれが不安で仕方がないらしいです。

 

母の実家は医者で、豊かな生活を送ってきました。

対して私はが定職についたことがなく、高校を出てからアルバイトだけで生活してきました。

 

ようやく、自分のスキルで食べていけるようになったのは最近。

母は、私が今の仕事をアルバイト感覚でしていると思っていて、辞めてほしいらしいのです。

 

実家に帰るたびに「はやく定職につきなさい」とか、「遊びみたいなことは、やめなさい」と、言われます。

そのたび、私は仕事について説明や弁解をするのですが、理解してもらえません。

 

悲しい気持ちになり、私もつい言葉が強くなってしまいます。

しまいには、家に毎月入れるお金を渡すと「まともな仕事をしているわけじゃないのに、こんなに大丈夫なの?」と言われました。

 

はやく理解してもらいたいのですが、なかば諦めてしまっている自分もいます。

毎回、本当にうざくて悲しいです。

 

自分の母親をうざいと思ったエピソード2.旦那の職業や年収をあら探しする

給料

 

そんな育ちの良い母でしたので、母が結婚に選んだ私の父も医者でした。

なので、母は裕福な暮らしを充分に経験しています。

 

今でこそ、父と離婚したのでつつましい生活を送っています。

しかし、「お金がないと手に入れられない幸せ」を知っている母は、私たち夫婦の年収にやたら関与してきます。

 

とくに旦那に対しての干渉がひどく、「どういう出世コースなの?」、「お給料はどのくらいまで上がるの?」とまで。

もう、毎回うざくてしょうがないです。

 

私は、旦那の年収にひかれて結婚したわけではありません。

「この人と、一緒にいたい」と、思って結婚したのです。

 

ですが母のなかには「結婚=お嫁さんとして幸せになる」の構図が抜けません。

「専業主婦にならないのであれば、しっかりとした定職につきなさい」という、極端な考えかたをしているのです。

 

まだ救いがあるのは、旦那に直接それを聞いてこないことです。

私がかなり釘を刺してあるのもありますが、それをしないでくれているので、なんとか爆発しないでいれる私。

 

普通に生活させてくれる旦那に、なんの不満があるのか正直わかりません。

本当にうざいです。

 

 

自分の母親をうざいと思ったエピソード3.優秀な親族と比べてくる

比較

 

育ちが良いのは、母だけではありません。

私の母がたの血縁者は、ほとんど全員が品性も良く学歴も優秀です。

 

医者やテレビ局など、高収入や安定した大企業に勤めている人ばかり。

そんな親に育てられる子も、サラブレッドに育ちます。

 

子どものころから、留学などは当たりまえ、英語もしゃべれて当然です。

私は金髪に近い髪色なのですが、親族のなかでも、そんな目立つ容姿なのは私だけ。

 

会合のときなどには、どうしても少し浮いてしまいます。

自分では、とくに気にしていないので胸を張っているのですが、母はそれが恥ずかしいのです。

 

なので、親戚の子とやたらと比較します。

それが私にとっては、本当にうざくてストレスがたまる原因に。

 

確かに、私は母の望むような大企業勤めや、品のある見た目ではありません。

ですが、もう少しだけでも良いから、私という個性を認めてくれても良いのではないかと思うのです。

 

毎回、そんなことを言われるたびに、母をうざく思うことだって私にとっては辛いことなのですから。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

普段は良い母なのですが、このことになると毎回うざくて、ストレスがたまって辛いです。

 

母も母で、不安だからこそだと思いますが、こちらの意見にも耳をかたむけてほしいものです。

私は母を見て、反面教師にしています。

 

自分に娘ができたときに、同じことをしたくないと心から思いました。